豊島氏系図

2022年3月11日

豊島氏系図は、江戸時代に豊島氏の後裔を名乗る豊島泰盈やすみつにより整備されています。

また現代の研究により泰盈系図を、補完し訂正され系図も研究者により発表されています。

泰盈本豊島系図

泰盈は江戸時代前期から中期にかけての旗本で、隠居後散逸していた豊島氏の資料を集め系図を作成しています。

その系図は「泰盈本豊島家系図」と呼ばれていおり、金輪寺(東京都北区)に豊島氏の系図を奉納して「金輪寺本豊島家系図」とも呼ばれています。

江戸時代に作られたものですから年代的な疑問点などありますが、現代の豊島氏研究の基礎となっています。

泰盈版豊島氏家系図

「決戦―豊島一族と太田道灌の闘い」葛城 明彦著  風早書林刊 より引用

豊島氏復元略系図

泰盈版系図では、鎌倉時代に頼朝麾下に加わった清元が清光となっていたりと、その後の研究で大幅に変わっています。

当サイトでも豊島氏最後の当主を豊島泰経と表記してますが、当時の文献には名の記載はなく官職の「勘解由左衛門尉」とあるのみです。

泰経の名は江戸時代に使われるようになったもので、その時代に使われていたかは不明です。

復元系図では、勘解由左衛門尉と記載されています。

当サイトでは、分かりやすさを優先して泰経と弟を泰明の名前も表記しています。

豊島氏復元略系図

「豊島氏とその時代-東京の中世を考える」峰岸純夫・小林一岳・黒田基樹編 新人物往来社刊 より引用

まとめ

豊島氏の研究は、郷土史研究の中から新しい所見が多く出ています。

新しい研究成果は、随時掲載していきます。