その後の豊島氏
豊島氏は文明9年(1477年)に太田道灌に滅ぼされてしまいますが、江戸時代の旗本に武蔵豊島氏の後裔を名乗っている一族がいます。
旗本の豊島泰盈としま やすみつは、隠居後自らのルーツを探るために豊島家の系図を作成しています。 ...
豊島氏関連史跡:中野区編
中野区には形として残っている遺跡はあまりありませんが、豊島泰経と太田道灌が雌雄決した江古田原・沼袋古戦場跡があります。
古戦場跡は、現在江古田公園となっています。
道灌は江戸城から神田川をさかのぼり、神田川の支 ...
豊島氏関連史跡:練馬区編
練馬区は豊島氏の本拠地で、石神井城・練馬城が存在した地域です。
城の近くにはゆかりの、神社や仏閣もあります。
豊島氏ゆかりの史跡は、主に石神井公園内とその周辺に点在しています。
練馬城跡は旧豊島園内 ...
豊島氏関連史跡:北区編
北区の京浜東北線王子駅から上中里駅付近は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて豊島氏の居城があった地域です。
これから紹介する王子神社は、豊島氏が熊野神社から若一にゃくいち王子を勧請して建立したものです。
都内の熊 ...
豊島氏系図
豊島氏系図は、江戸時代に豊島氏の後裔を名乗る豊島泰盈やすみつにより整備されています。
また現代の研究により泰盈系図を、補完し訂正され系図も研究者により発表されています。
泰盈本豊島系図泰盈は江戸時代前期から中期 ...
豊島氏滅亡悲話「照姫伝説」
「照姫てるひめ伝説」とは、豊島氏最後の当主豊島泰経の次女照姫にまつわる物語です。
現在石神井公園では、毎年4月に照姫まつりを開催して照姫を偲んでいます。
豊島氏を題材としたお話は、この照姫を題材とし ...
豊島氏の興隆から繁栄(平安末から室町中期)
東京23区には豊島区という区があります、また練馬区には豊島園という遊園地がありました。北区の王子あたりから練馬区の石神井までを、所領していた氏族が豊島氏です。
豊島氏は、平安末期から室町中期まで4 ...
コラム:姓と名字の違い
豊島氏と聞いてピンと来る人は、相当の歴史通だと思います。
でも豊島氏の痕跡は、都内には豊島区や豊島園(2020年閉園)といくつか残っています。
ただ地名の由来が豊島氏 ...
豊島氏所縁の史跡・寺院・神社
豊島氏のゆかりの神社・仏閣は、練馬区を中心に杉並・中野・豊島区・北区に数多く残っています。
特に紀州から熊野権現を勧請し、都内にいくつかの熊野神社を立てています。その中最大は、東京十社の一つである ...
関東動乱(鎌倉公方VS上杉氏)
前章で上杉家が関東管領を世襲するようになったところまで書きました。
権力を掌握した上杉家と、鎌倉公方の関係は徐々に険悪になっていきます。
そのはざまで、関東の各豪族は敵味方となり戦って ...